横塚さんは初めて訪れた西表島の思い出をこんな表現をしています。
『西表島の自然はどれもこれもが私にとっては異次元の世界だった』。
そう、たとえばこの島には静寂が存在する。車の音や飛行機の音、人のざわめきに犯されない静寂。それは『時折「パシャ」という魚が跳ねる音で静けさが破られる』ものであったり、『「バサバサ」という音で静寂が破られた』という類のもので、この島にどれだけ自然があふれ、人工物に犯されていないのかを知ることが出来ます。
この本はそんな西表島での生活、写真撮影のための戦いを四つのラウンドに分けて描いています。
主人公は横塚さん、そしてその奥さん。
対照的な二人の西表島での生活は、この本を単なるイリオモテヤマネコ撮影成功秘話にはせず、西表島での人々の暮らしというものを上手く表現する一冊に仕上げるのに一役買っているように思います。
まず第一ラウンドは低めの目標として『餌付けヤマネコの撮影』です。
西表島に移住してきたのはいいものの、やっと見つけた住居で出くわしたアリ、ネズミ、そしてウジ。
普通に生活している分には経験し得なかったような出来事が起こる島では、横塚さん…特に奥さんは毎日の生活のリズムをつかむことさえ難しかったようで、苦手な虫に出くわすたびに悲鳴を挙げるはめにあっていました。
どうにかニワトリで餌付けしたイリオモテヤマネコの撮影をするところまでには成功したものの、この時点で既に蓄えも心細くなっていたためにいったん引き上げることになりました。
一年分はあると計算していた貯蓄は僅か四ヶ月で尽きてしまったのです。
ちなみにそれを決心したのは近所の子供達の『横塚のニイニイはヨオ、ヒモだってサー』という会話だったそうです。ちょっとやそっとの準備では撮影させてくれない…自然動物との戦いの難しさを感じさせてくれる撤退でした。
第二ラウンドは一度状況を立て直しての再チャレンジです。
五年くらいの長期を覚悟した横塚さんはヤマネコの写真撮影を出版社へ持ち込むことで、資金援助を受けながら撮影を続けることを目指します。
結局、小さな出版社で印税の前借という形で月々10万円、9ヶ月程度の滞在が出来そうな環境を整えての再チャレンジに挑みます。またパンフレット用の自然動物撮影という仕事も手にし、カメラマンとしてのキャリアも少しずつ積み始めていきます。
ちなみに今回の敵はダニ。急所をかまれた横塚さんは怒りの余り『捜し出して火あぶりにしてやる』と思ったそうですが、大丈夫なのかこのネイチャーカメラマン…。
第二ラウンドではセンサーを使った撮影に挑んでいます。
何かが通り過ぎるたびにシャッターをきるというシステムです。
ちなみにこのときの出版社の社長は販売元を他社にすることでイリオモテヤマネコの写真をカラーで掲載できるように取り計らうなど、横塚さんの情熱に誠意で応えてくれています。
『俺を踏み台にしろ。がんばってこい』与えられたチャンスを見事に物にした横塚さんへ投げかけた言葉は、この本の中で一番美しい言葉だったと思います。
第三ラウンドでは先のパンフレットの撮影で一定の評価を受けたことや、奥さんの知り合いの方の会社の設備を借りて生活をすることが出来るなど、かなり環境が整ってきてます。
よーく読んでいるとサクセスストーリーなんだな、この本(笑)。
途中、写真を取りたいあまりに反則技の餌付けに手を出そうとしたりするものの、最終的には順調に撮影に成功しています。
最終ラウンドでは自らの目標である親子連れの撮影の為にメスのキレミミを追います。
ここまでにいたるまでに五年半ほどが経過しているようで、一番驚かされるのはもう最終ラウンドの辺りにいたってはただイリオモテヤマネコの姿を見るだけでは舞い上がらず冷静に当初の目標を達成しようとしている横塚さんの成長ぶりです。
このキレミミとの撮影はかなり大きな収穫で、クリスマスの日に出会った親子の姿、眠っているところの撮影、オスとの喧嘩など貴重な写真を確保しています。
しかし最終的に横塚さんがいたった結論はこうだ。
『自然の真の姿を伝えること』と、『自然の神秘を守ること』。
前者の多くは横塚さんはもう達成しています。
そして後者を達成すること―。
それはイリオモテヤマネコの平穏な生活から、カメラを取り除くことでした…。
僕はこの結論には大賛成です。
この物語の中に貴重な蝶を捕まえようとする人間、そして何らかの目的で横塚さんの撮影ポイントでヤマネコの写真を撮ろうとしていたカップルが登場します。
自然の中に溶け込みながらその神秘に触れようとした横塚さんに対し、彼らは自然に押し入って神秘を掴み取ろうとしている人々でした。
しかし僕は思います。
彼らも、横塚さんも、紙一重なんだと。
ここで引き際を間違えていれば、もしかすると横塚さん自身も神秘を掴み取ろうとする人になるなっていたのではないでしょうか。
ヤマネコの生活圏内に入り込めたのは、きっとこういうやさしい気持ちを持っているからこそ、なのではないでしょうか。
ちなみにこの本で唯一残念なのは…。
ヤマネコの写真が無い
その代わり、横塚さんの写真はフルカラーで掲載されています

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