『わしは、殺された上に、永劫(えいごう)悪人にされてしまうのだ。わしの言い分やわしの立場は、敵討という大鳴物入りの道徳のために、ふみにじられてしまうのだ』
忠臣蔵の物語を吉良上野介の立場から描いた作品です。
忠臣蔵の作品というと主に四十七士よりに描いたり、吉良上野介を同情的に描いたりと視点によって作品のイメージはずいぶんと変わりますが菊池 寛さんのこの作品はどちらも立てていない中立な作風です。
ただし専ら吉良上野介の目線で描いている為に赤穂浪士たちの感情などについては殆ど触れられず、序盤でどうにか接待の予算を切り詰めようと考える浅野内匠頭や、前回比7割程の予算でやりくりするように命じられた安井彦右衛門と藤井又右衛門の内心が描かれている程度なので、赤穂浪士に関してはほぼ触れずに描いているといったほうが正確かもしれません。
事件の前後関係はほぼ一般に知られている忠臣蔵の物語の通りです。
浅野家は京都から勅使を迎える接待役に任命されましたが、物価も高騰しているのに加えてこの設定は段々と豪華になっていく傾向にあり、浅野内匠頭はその傾向を変えていく為にも低予算での接待を推奨します。
反面、自らへの付け届けの額も含めて小額でおさえようとするのが気に入らない吉良上野介は何かにつけて嫌味を言ったり、必要な情報を伝えなかったりと接待の邪魔とも取れる行動を繰り返し、そしてあの事件が起こる―。
菊池 寛さんは事件の原因をこの際の吉良の行動が原因であるという説で描いているようです。
さて事件後の吉良上野介の感情は以下のとおりです。
・自分は接待の伝統を守ろうとした。
その為に出費を抑えることで伝統を変えていくようなことは立場上、許すことはできなかった。
よって自分が斬りつけられた上に赤穂浪士に命を狙われているという事は、『別に悪いことをせん人間が、喧嘩を売られて傷を受け、世間からは憎まれた上に、また後で敵として討たれるなんて、こんなばかなことがあるものか』という理不尽さを感じています。
確かにこういう読み方をすると、吉良上野介も同乗する余地はあるよなーと思ってしまいます。
いきなり斬りつけられて、どうにか助かったと思いきや世間では悪役にされ、挙句にその家臣たちに再度命を狙われ、結果として殺されてしまう。
どちらに肩入れをして読むにしても、一度はこういう別の視点の作品を読んでおくのも面白いものだと思います。