紀貫之さんが土佐の国司としての任務を終えて京へと帰るまでの紀行を日記に記したのが『土佐日記』です。旅の行程や、行く先々の旅情の中で詠まれた詩歌57首が収録されています。
この本は原作と現代語訳の二本立てになっており、左右を読み比べながら読み進めていくことで古文の読み方の勉強にもなります。
以下、三谷榮一さんの現代語訳を中心に解説します。
面白い試みとして、この作品は女性が主人公として描かれています。
『男の人が書くと聞いている日記と言うものを、女の私も試みに書いてみようと思って』とし、男の間で流行っている日記を私もやってみるわ♪という女性が主人公になっています。
そして主人公が女性なので、当時の男性が漢文で日記をつけていたのに対して紀貫子(仮)は原文で『男をもすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり』と平仮名を用いています。
ちなみに門出の部分で触れられている『ある人が、四、五年になる地方勤務を終わって、お決まりの事務引継などもすっかりすませ』となっているのが紀貫之自身を投影させている部分です。
この作品を書いた紀貫之自身は男性ですが、この土佐日記は日記を本として発表するものの先駆であり、菅原孝標女や紫式部が残したような女性の日記モノにも大きな影響を残しました。
内容は紀貫之が女性を装って書いているという事以外は現代まで続く紀行文そのもの。同じ旅路で記した日記としては、猿岩石のヒッチハイクのたびの日記を思い出すような部分もあり、大湊で風で出向できずにいる頃にはいい加減苛々してきたのか『六日。昨日の通りです』との記述も。
ようするになんもねーよ、と。
また『ゆくさきに立つ白波のこゑよりも おくれて泣かむわれやまさらむ』(これから行く先の白波の立てる音より、後に残されて泣く私の声のほうが大きく聞こえることでしょうといった意味の詩。)に対しては『大層大きな声なのでしょうね』との反応。
うわっ、冷めてるっ!
半ギレ気味だった七日目以降はボチボチと日記を書いているとおもったら、長い滞在にやはりちょっとイライラが募っていたのでしょうか…。
読まれた詩に、今で言うマジレスです。
さてこの大湊に限らず、時代柄船旅はまだまだ危険を伴うものだったのか、出向できずに留まる場面は何度も出てきており、途中では日数を指折り数えるものだから『指まで痛めてしまいそうです』との弁。
いや、日記書いてるんだから読み返せば良いんじゃないだろうか。とか思うのは風流さが足りないのだろうか…。
船旅は続き、段々と都が近づいてくるとはやる気持ちが表現されていますが、目的地を間近にしながら水嵩が足りずになかなか進めなかったようで、この辺りで猛烈に詩が乱発されます。
この部分を見て、当時の人と詩というものの関係の深さを知るような気がします。多分現在の気の利いたジョークなどと同じようなものだったのでしょう。
この作品中には土佐で亡くした子への思いを詠う部分が良く出ますが、土佐日記の最後も、『生まれしもかへらむわが宿に小松のあるを見るが悲しさ』と詠い、一緒に変えることの出来なかったわが子への慕情を募らせていました。
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