本の虫、中毒日記

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Fujisaki

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基本はシャーロッキアン。
でも雑食の本の虫。資格からマンガまでそこに文字がある限りっ。

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プロジェクトX「男たちの復活戦、デジタルカメラに賭ける」 技術者魂よ、永遠なれ
NHKの人気番組・プロジェクトXの小説版を読んでみました。

今回のテーマはデジカメ。
デジカメ普及の立役者、名機・QV-10の誕生秘話です。

 QV-10とは
デジカメ普及の立役者、カシオ計算機のQV-10。
小型化・低価格化は勿論、背面の液晶パネルのやパソコンとの連携を最初に導入したカメラです。
ヒット商品となり、その後のデジカメ業界に大きな影響を与えた機種です。

今回は紹介するのは、その誕生秘話となる物語です。

 大手、怖いなぁ…
QV-10の前史として、カシオ・VS-101という電子スチルビデオカメラの話が紹介されます。
凄く大雑把に説明すると、フィルムをフロッピーディスクに置き換えた製品です。

カシオはこの製品で、商業的にはかなり失敗してしまったそうです。
その為、開発チームは解散となり、解説を読む限りでは窓際への左遷とも取れる異動を命じられています。

勿論、プロジェクトXなので、その状況から盛り返してQV-10の開発へと進んでいくわけですけれども。
やっぱり大手で大きな失敗したら、そういう道になっちゃうんだなぁ…と、開発関連の仕事をされる方のプレッシャーを感じてしまうエピソードでした。

 感想
面白いなと思ったのは、背面のディスプレイを搭載するきっかけとなったのは、開発の予算を都合するために協力していた事務の女性なんですね。
その人が、実験に付き合った際に、試作機当時は別のディスプレイでしたが、すぐに写真が見れると言う事に驚き、楽しんだのだそうです。

中に入りすぎている人というのは、なかなかお客様の素直な反応と言うのが思い浮かべられないものです。
手の込んだ技術、小型化、難易度、価格…。
意識を奪われてしまう事はいくつもあります。
その中で開発者とは異なる目で見る人がいたと言うのが、もしかするとQV-10最大の勝因だったのかもしれないですね。



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チェルノブイリの傷 奇跡のメス(プロジェクトX)
東日本の大地震に伴って発生した原発の事故の際、何度も耳にしたのがチェルノブイリの事件でした。
同様に原子力発電所で、世界最悪の被害を出した事故でした。

マスコミというのは問題が熱い内は否応無く耳に入ってくるほどの情報を流してくれるのですが、問題が冷めてくると、ちょうど民主党の菅内閣の対人の話題に集中し始めたように、徐々に遠ざかっていってしまいがちです。

今回はチェルノブイリの事故から5年後、現地で多発していた甲状腺ガンの治療の為に日本から旅立っていった菅谷 昭さん(現・松本市長)のお話を読んでみました。

元々、原子力の事故に対する強い関心があってチェルノブイリへいったわけではないそうです。
大学病院(信州大学)で助教授の地位にまでなっていて、順風満帆とも言える人生を送っていたのですが、一方で『満足して死ねる』人生の模索をしていたと言います。
大きな契機となったのは専門家として放射性物質が発生すると白血病と、自らの専門である甲状腺ガンが増えるという事に気づいた事だったようです。
そして現地へ発った彼ですが、最初は調査団として大学に籍を置いたままで参加しています。
しかし後に大学を退職して、単身で医師として現地へ赴くことになります。

これは凄くシンプルで、判りやすい理由なんですね。

ひと言で片付けてしまうと語弊があるのかもしれませんが、医療のレベルから来る諸問題はあったのかもしれませんが、現地の医師も甲状腺の手術をして患者を救うことは出来ていました。
しかし、子供の首に大きな傷跡を残す手術しか出来なかったそうです。
菅谷さんは、これが許せなかったそうです。
大人の起こした事件に巻き込まれた子供の体に、消えない…しかも大きく目立つ傷跡を残したくなかった。
これは日本の医療が心がけてきたクオリティオブライフの考えに基づくものだったのですね。
勿論、菅谷さんが現地へ赴いたことで医療の質が向上したのは疑う余地も有りませんが、それ以上に病気を治すだけの医療からの脱却が行われたという点で、高い貢献があったといえそうです。

菅谷さんは五年間現地へ住み込みで働き、現地の医療のレベルが上がったのを見届けてから日本に帰国するのですが、この期間は元々自分で決めておられたそうです。
言葉は悪いかもしれませんが5年間の為に、長い時間をかけて築いてきた大学の助教授という地位を捨ててしまう潔さにはただただだ驚かされるものが有りました。

しかしこの潔さというか、強い覚悟は現地の方にも伝わったようで、医療のためだけに来ているという事は現地スタッフとの意思疎通をよりし易くしてくれたそうです。
なかなか覚悟がないと出来ないことですよね。

また、日本で当たり前のように受けているお医者さんからの診察や、かけてもらっている言葉というものが、どれだけありがたいものなのかという事が良く判るエピソードでした。
僕たちは、恵まれた環境いながら、きっと贅沢が何かという事にも気付かなくなっているんですよね。
でも…チェルノブイリの事故の被害に遭われた方々にも、それが当たり前の事と思えるような時代が来てくれるのであれば、それはそれで、きっと医療に携わる方々も喜ばしいことなのではないかな…なんて、小生意気に考えたりしました。



菅谷さんの市長としての震災を受けてのコメントが発表されています。


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列島踏破30万人 執念の住宅地図/プロジェクトX
ゼンリンの住宅地図を仕事でも良く使っていました。
実は一度だけ、ゼンリンの方々が地図を更新するのに歩き回っている様子を見たことがあったのです。
こうやって一軒ずつ回っているんだなぁと感心した覚えがあります。
今回はその地図が始めて作られた際のエピソードを読んでみました。

そもそもゼンリンの地図のスタートは、戦後に就く仕事も無い状況で創業者の大迫正冨さんが、温泉地の観光案内の為に地図付のガイドを作ったのが好評だった事から始まったそうです。
なのでゼンリンさんの前身ともいえる社名は観光文化宣伝社、別府で立ち上げた会社でした。
これが善隣出版社と名を変え、現在のゼンリンさんになるわけですね。

創業者の方は体が強くなかった為に若くしてお亡くなりになってしまったので、実質的に全国制覇を成し遂げるのは二代目で創業者の息子さんになる大迫 忍さんでした。
この方は大学時代に生活費を地図を作ることで稼がされるなど、正に地図のエキスパートともいえる方だったそうです。

住宅地図の難問として登場するのは広く、廃屋も多かった北海道、そしてビルや地下街の多い東京などの都市部が挙げられていました。
ご存知の方も多いと思いますが、ゼンリンの地図は表札の名前を表記してあります。
なので、最近の地図には、例えば藤原さんのご自宅でも表札に出ていれば『FUJIWARA』といった風にローマ字表記の物も掲載されていたりしますが、これも実際に一軒ずつを見て回った結果なんですね。

この地図を他社に先んじて作成していく為に取ったのは、人海戦術だったそうです。
その為に必要となる費用は膨大なものだったそうですが、ゼンリンの地図というのは価格面から見ても判るとおり面だっては企業などの法人向けに作られているものだった為に、融資などにおいても意外とスムーズに受けられていたそうです。
今になればあって当たり前の地図ですが、当時は熱望されたものだった事を物語るエピソードですね。

『住宅地図』は人生で最高の愛読書みたいなものです


二代目社長の大迫 忍さんは自身の仕事について、上記のように語っています。
自分たちの仕事に対する誇りと、地図へ対する愛着がよく判る言葉だなぁと、かみ締めながら拝読しました。

※この本は電子書籍で美味しく頂きました。


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